出産体験記

私には3人の子供がいます。それぞれの個性があり、性格も三者三様です。振り返れば産まれ方も皆違ったように思います。

~2008年長男出産~
長男を出産したのは元職場の聖バルナバ病院です。私は在職中に『フリースタイル出産』ができるようにLDR(陣痛分娩回復室)を改装したり、分娩介助技術の習得にとても力をいれていました。妊娠した頃は退職していましたが、『自分達の作ったあの部屋で信頼している同僚(後輩)に囲まれて、自由に産みたい』という思いを大切にしました。

“お産は自由に動いて、声をだして良いもの”ということをわかっていた私は、特に恐怖心を抱くことはなく、予定日を1週間過ぎてようやく陣痛の時を迎えました(実際は大丈夫だと知っていても、少し焦りましたが…)。散歩や入浴などアクティブに過ごしていましたが、なかなか縮まらない5分毎の 陣痛で、痛いし眠ることも難しく時間だけが過ぎていきました。結局、病院に移動してからも状況は変わらず、痛いまま二晩目を過ごしました。体力の限界にきた私は微量の促進剤を足してもらい、夫やスタッフ皆に身体をさすってもらい叱咤激励を受け、四つん這いで何とか出産することができました。正直な気持ちは”感動”というより”やっと出せたぁ!”でした。
時間がかかったお産でしたが難産だとは思っていなくて、皆に支えられた幸せな出産でした。

~2011年次男出産~
一番迷ったことは”産む場所選び”でした。『出産のときは長男も一緒にいたい、家族で赤ちゃんを迎えたい』というのが一番の望みでした。助産師として助産院を知りたいという気持ちもあり、大阪府守口市にある岩津助産院で出産しました。次男のときは妊娠中も一番元気だったように思います。

深夜に寝ぼけながら『あれ?お腹痛いかも』が始まりでした。長男の時の長期戦があったので、それより早く産まれたらいいや、という程度に考えていたのに、どんどん迫り来る陣痛に『ちょっと待って、ちょっと待って』と言いながら助産院に移動しました。長男を怖がらせてはいけないと思い、ひきつった笑顔を見せていたのも束の間、『うぉー、めっちゃ痛い!どうしよう!』と必死になって夫にしがみついていました。メキメキと産道を下がってくる感覚で3時間程のあっという間に次男が誕生しました。そんなこんなで、最後にちゃんと長男をフォローしてあげられずに、彼は一番見える良い場所から、赤ちゃんの出てくるようすを泣きながら直視していました。私の野生の声が怖すぎたようで、感動より恐怖心が上回ってしまいました(( ´∀` ;))でもちゃんと長男がお臍の緒を切ってくれ、立派なお兄ちゃんになりました。
上の子に立ち合ってもらうときはちゃんとフォローできる大人が必要ですね。

~2013年長女出産~
きっとこれが最後になるであろう妊娠・出産。自分の心と身体にしっかり向き合い、「感じるお産」にしたいと思いました。とは言え、上の子(5歳と2歳)の子育てをしながらの妊娠期間はやっぱりハードでした。股関節に電撃が走るような痛みで仕事もちょっと早めに産休入り。

いざその日。陣痛はやはり就寝中にやって来て、実母と子供たち皆で岩津助産院へ。上の二人はソワソワ、夫は仕事で付き添えず。お産の進みは意外にもゆっくりゆっくりでした。”お父さん待ちかなぁ”と思いつつ、丁寧に一つづつ陣痛を逃しました。診察で『赤ちゃんまわってきてないね~』と言われ、私は知っている限りの知識で赤ちゃんの回る体勢をとりました。すると急に”ゴン!”と胃のあたりを蹴られ、『絶対もうすぐ産まれる、きたぁー』と思いました。やはり赤ちゃんのGOサインだったようで、陣痛から8時間後にメキメキと順調に産まれました。夫が立ち合えなかったことが心残りでしたが、電話で産まれる瞬間の実況中継していたので、一緒にいたような気持ちです。怖がっていた二人のお兄ちゃん達も産まれる瞬間に部屋に入ってきて共に喜んでくれました。
身体と心で感じるお産ができたこと、幸せに思います。

お産については皆それぞれの想いや状況があると思います。時には思い通りにいかないこともありますね。それは、これからの子育てや生き方にも通じていて、正解はありません。

自分に起こった出来事をどう受け止め、どう生かすかだと思います

赤ちゃんは、お母さんや自分を苦しめるようなことは絶対にしません。本当にうまくできていて、赤ちゃんの意志と能力にいつも感動します。
これからお産される方は、気負わず、ありのままで、納得いくように。

素敵なお産になりますように・・・☆

応援しています(´▽`*)

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